子育てに大切なこと
子育てに大切な事と、 ”一言” で言われても戸惑う事の方が多いと思います。
何故かというと、子育てにも、総論、各論、という段階が必ずあるからです。
大雑把に分けたとしても、乳児期、幼児期、小学生低学年期、小学生高学年期、
中学生期、高校生期、下手したら大学生期なども入るかも知れないご時世です。
こうした大雑把な期間の分類においてさえも、またまたいろいろなケースが
有る訳で一概には言えないことばかりです。こうしたことを大前提にした上で、
敢えて言いたいことを、最も底辺層に流れる基本的な意識の問題について、
私見として言及したいと思うことをつらつらと書き綴ってみたいと思います。
興味の御有りになるご父母各位様の論点の一つにでもなれば幸いと感じます。
前置きはこのくらいにして、では始めます。
子育てにおいてのご両親の共通認識は、この子を産んで良かった。
この子は、自分たち夫婦の誇りだ。
若しこの子が、異性の他人だったら、自分の結婚相手の一人に入る。
若しこの子が、他人だった、一緒に酒を飲んだり雑談をしたい一人に入る。
若しこの子が、性別を問わず他人だったら、一緒に旅をしたい一人に入る。
最低でもこうした項目のすべてを網羅できる人が、自分たちの子育ての、
究極の目的になるように感じます。こうした最低限の人間的な素養を持つ
人間に育て上げられたら、ご両親と致しましては120%の満足ではないかと
ご推察いたします。ご夫婦のこうした価値観のなかでの、子育て期間の
それぞれの時期におけるスタンスは各ご家庭の置かれている状況によって
当然変化せざる負えないのが実情と思います。
ということは、子育ての基準はご家庭内にあるのであって、正確に言えば、
ご夫婦間のルール内にあるのであって、比較対象となる他人様のご夫婦に
有る訳ではないのです。飽く迄、自分たち夫婦の心の置き場所に有る訳です。
この心の置き場所さえ決まってしまえば、悩んだり・苦しかったり・辛かったり
した時でも、必ずこの原点に立ち戻れば、解決の糸口が見えてくるはずです。
子育ては、ご夫婦が、苦しむために有るのでも無く、
喧嘩するために有るのでもなく、悩みを抱えるために有るのでもないのです。
子育ては、ご夫婦が家族を構成しようと決意した時から、楽しみの始めであり、
生きがいの始めであり、感動の始めであるのです。
ご夫婦が、この共通認識の上に立ち子育て中に当然起こりうるすべtの事に
対して、何でも受け入れますという決意を表明することで総ての事は、
解決いたします。今現在、当に子育て中のご夫婦が居られるなら、上記
の事を参考になされ、共に闘えるパートナーとして互いを認識し直しては
如何でしょうか。この機会に、ご夫婦の子育てのある方を再考しても良い
のではないかとも存じます。ご参考になれば幸いです。(頭)